鈴木 譲 (SUZUKI, Yuzuru)


<略歴>

1948年7月13日生まれ.
1971年6月,東京大学農学部水産学科卒業,大学院農学系研究科水産学専門課程進学.
1976年,東京大学大学院農学系研究科水産学専門課程博士課程修了.農学博士.学位論文「魚類の炎症に関する研究」
1976年7月,東京大学農学部助手.
1988年10月,東京大学農学部助教授.
2000年6月,東京大学大学院農学生命科学研究科附属水産実験所教授.静岡県浜松市に単身赴任.


<研究歴>

研究業績

東京大学農学部水産学科魚類生理学研究室(日比谷京教授)での卒論で,副腎皮質ホルモンの血球組成に対する影響を調べたのが始まりで,修士課程では同ホルモンの抗炎症作用,博士課程では炎症そのものの研究を行なう.

助手採用後,呼吸循環生理,感覚生理の研究にもたずさわったが,一貫して魚類の生体防御機構解明に向けて研究を進めてきた.

水産実験所へ異動となってからは,海産魚の飼育が容易であるというメリットを活かして,ゲノム解読が進むトラフグを材料とした免疫学を末武助手と共に進めている.その一方,ゲノム育種に関する研究も菊池助手をサポートする形で進めており,病気に強い,けんかをしない,成長が早い,おいしい,そしてすべて雄で白子が取れるフグの作出を夢見ている.
コラム”FBI”

助教授時代からウナギ種苗生産にも関わっていて,人口種苗の免疫系の発達過程と生残率との関係解明を目指している.そのためには天然の卵,仔魚(レプトセファルス幼生)との比較が重要で,白鳳丸によるウナギ産卵場調査航海にも参加している.
白鳳丸航海記(KH-06-2,Leg.5)


<その他の活動・趣味>

魚体へのメチル水銀蓄積経路について―「水俣病の科学」の誤り
 日本水産学会誌73巻5号(2007)「会員声」欄に掲載された一文で,メチル水銀は鰓を通して海水から直接吸収されたとする西村肇ノ岡本達明著「水俣病の科学」の誤りを指摘した.日本水産学会の許可を得て転載する.
お詫びと訂正
 上記,会員の声に数値の誤りと誤解を招く表現があるとの指摘を受け,日本水産学会誌76巻1号(2010)「会員の声」としてお詫びと訂正を掲載していただいた.原稿に赤字で訂正を加えたのが修正版p.1p.2である.数値の誤りはあったが,結論は全く変わらない.当初「水俣病の科学」では鰓からのメチル水銀吸収効率を12500倍過大評価している,と記述したが,125倍の過大評価であった.餌からの吸収は77分の1の過小評価で変りがない.従って,メチル水銀は鰓から吸収されたとする同書で提示された説は誤りと考える.


・野鳥観察 大学1年生の1967年にヤマセミを見たのが最初の記録だが,本格的に見始めたのは1968年.珍鳥を求めて駆け回ったのは昔のことで,今は鳥がいる環境をゆったりと楽しんでいる.

・山歩き 野鳥観察の延長上で山に登っていたが,2003年秋,三頭山の下り再度ひざを痛めてしまい,恐怖で山に登れなくなってしまった.せいぜい,尾瀬ヶ原くらい.

・音楽鑑賞 バッハやモーツアルトが好き.ベートーベンからロマン派はどうも肌に合わない.最近のお気に入りはショスタコーヴィチのピアノピアノ協奏曲第2番.作曲者本人の演奏による第2楽章は,世の中でもっとも美しい曲ではないかとさえ思う.

・舞台 国立劇場での文楽公演にはよく行く.人間国宝竹本住太夫をじっくり味わえる素浄瑠璃の会も欠かしたくないがチケットが取れない.

2005年11月,浜松アクトシティーホールでシルヴィー・ギエムがボレロを踊る.この最後のチャンスを見逃した方,お気の毒さま.

・自転車 通勤に自転車を使うようになって20年余り.最初にひざを痛めた際に10kg以上の減量をしたが,その上でさらに脚力をつけるための運動はないかと考え,8.5kmの道のりを自転車で通勤することにしたのがきっかけ.現在は,調布の神金自転車に特注したスポルティーフで12kmの気持ちの良い田舎道を通っている.もちろん悪天候時は願い下げだが(強風吹き荒れる冬が大変).
環境のことを考えると自転車は極めて優れた乗り物だが,自転車をめぐる環境は悲惨な状況だ.私の憤りが2005年7月28日付東京新聞に大きく取り上げられた(東京新聞の許可を得て転載).東京都の山手通りに自転車道を作るとの発表が真っ赤な嘘で,歩道上の自転車通行部に化けてしまったのだ.

・自動車 東京にいた頃は,自動車は年に1,2度しか使わず,ほこりをかぶっていたが,田舎暮らしで必要となった.2004年秋,24年間使って故障ばかりするようになったボルボに見切りをつけて,トヨタのハイブリッド車プリウスIIにしたが,リッター25〜28kmという燃費の良さに驚嘆させられている.

・環境保全活動 ごみ処分場計画が撤回され保全されることになった藤前干潟問題では,紛糾して3回開かれた公聴会で公述人として発言.新宿区内で建設中の道路計画について,徹底的に批判し,行政訴訟まで起こして闘ったが,最終的には最高裁で敗訴確定.この門前払いという判例は小田急訴訟(2005年12月)で変更となり,これからは私たちのような悲惨な目に会うことはなくなった.


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